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石川啄木観

私の啄木についての印象は、何度も変わります。
<たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず>を教科書で知ったとき、「気持ちを、素直に、大げさに?表現するのがうまい」と思いました。
<東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる>を見て、「泣き虫か」と思いました。その後、<地図の上 朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く>を知って、「社会への鋭い感覚」に驚きました。
でも、「啄木は所謂「たかり魔」で、困窮した生活故に頻繁に友人知人からお金をせびっていた。」など読むと、だらしない人間だと思いました。
今回、釧路へ来て、啄木の歌碑をめぐり、資料を展示している港文館に寄ってみました。
着いた日の印象 <さいはての駅に下り立ち  雪あかり  さびしき町にあゆみ入りにき>
啄木は、釧路の新聞社に迎えられました。たった76日しか居なかったのに、馴染みになった「妹のような芸者」について<小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり><よりそひて 深夜の雪の中に立つ  女の右手のあたゝかさかな>と詠んでいます。他に、梅川操という気性が強い女性が、夜中に来て、小奴と鉢合わせします。<一輪の赤き薔薇の花を見て 火の息すなる 唇をこそ思へ>との歌を残しています。私は、啄木は、「女性を泣かせる男だったのか?」と想像しました。
しかし、買ってきた『増補・石川啄木 その釧路時代』(釧路新書)をめくってみると、釧路には、初めて新聞の編集を半ば任されるような形で迎えられて張り切って記事を書き、23歳の文才ある若者は毎晩のように、夜中まで遊んだ、話しこんだ、付き合ったということだったのかもしれない、、、。と思い始めています。その後東京に出て、大変な苦労もしますが、一晩に300も歌が浮かんだ夜もあるそうです。
享年26歳。短すぎる一生だったのだから、借金も、傲慢も、許されていい?皆さんは、どう感じるのかなあ?ともあれ、私の乏しい啄木観は、すこしだけ多面的になった気がします。
by chiharu_eguchi | 2015-08-28 16:29 | 手をつなごう
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